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Alma Redemptoris Mater《慈しみ深きあがない主の御母》


Alma
慈しみ深き、*1
Redemptóris Mater
あがない主の御母*2
quae pérvia coeli porta manes,
常に開かれし天の門、
et stella maris,
海の星よ、
succúrre cadénti,
堕落した者らを助け給え、
súrgere qui curat, pópulo:
罪に沈める民を浮かび上がらせ給え。
tu quæ genuísti,
御身は身ごもり給えり、
natura miránte,
自然の驚異によりて
tuum sanctum Genitorem,
御身の聖なる造り主を。
Virgo prius ac posterius,
初めより終わりまで処女なる御方
Gabrielis ab ore
ガブリエルの口より
Sumens illud Ave,
かの「アヴェ」を受け給うた御方よ
peccatórum miserére.
罪人を憐れみ給え。

*1 almaは「慈愛に満ちた」「滋養のある」などの意。
*2 ユダヤ教及びキリスト教に出てくる神の概念。「あがない」はもともと人手に渡った財産を買い戻す、身代金を払って奴隷を解放する、生け贄や金銭を払って罪をつぐなうという意味。ユダヤ教では異民族の奴隷となったイスラエルの民を解放する者として神をあがない主と呼び、キリスト教では罪から人類を解放する者としてキリストを指す。

text: 聖母マリアのためのグレゴリオ聖歌
tune: Giovanni Pierluigi da Palestrina(c.1525-1594)

最初の一節だけ元になったグレゴリオ聖歌を使い、残りを複雑に展開するのはルネサンス期で一般的だった手法。
ちなみに元になったグレゴリオ聖歌。


amazonはCDのみ



Rodolfus Choir
収録アルバム: Classical Christmas Collection


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by CockRobin96 | 2015-11-22 20:03 | Trackback | Comments(0)

Ego Sum Panis Vivus《我は生ける糧なり》


Ego sum panis vivus.
わたしは生きたパンである。
Patres vestri
あなたがたの父祖たちは
manducavérunt manna in desérto,
荒れ野でマンナを味わったが、
et mórtui sunt.
死んでしまった。
Hic est panis de caelo descéndens:
しかしこれは天から降ってきたパンであり、
si quis ex ipso manducáverit
もしもこれを味わったなら
non moriétur.
死なない。

text: ヨハネによる福音書6:48
tune: Giovanni Pierluigi da Palestrina(c.1525-1594)

イエスがパンを割いて「これはわたしの肉である」といった故事に関連し、聖餐式に使われる歌詞。
マンナは出エジプト記16章に登場する伝説の食べ物。白く、蜜の入ったウェファースのような味がするとされる。天からの賜物に違いないが所詮は食べ物で、食べても老衰や事故などで死を免れることはできない。しかし精神的な意味でイエスを味わったものは、同じ意味で死ぬことがないというたとえばなしである。


The Palestrina Choir
収録アルバム: O Sacrament Most Holy


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by CockRobin96 | 2015-07-09 21:45 | Trackback | Comments(0)

Sicut Cervus《鹿のように》


Sicut cervus desiderat ad fontes aquarum,
湧き水をあえぎ慕う鹿のように、
ita desiderat,
かくてあえぎ慕う、
anima mea ad te Deus.
わが魂は神なる御身を求めて。

text: 旧約聖書詩編第42編
tune: Giovanni Pierluigi da Palestrina(c.1525-1594)

パレストリーナはイタリア・ルネサンス後期の音楽家。なお、ジョヴァンニが名前、ピエルルイージが姓で、パレストリーナは単なる出身地。ヴィンチ村のレオナルドさんを「ダ・ヴィンチ」と呼ぶようなもの。教皇庁付きの音楽家として宗教曲を多く残し、「教会音楽の父」と称された。上品でシンプルで洗練された作風が特徴。

旧約聖書時代の鹿はアカシカ、ノロジカ、ダマジカの三種がいたが、どの鹿かは明記されてないし多分ヘブライ人には区別がついてない。ラテン語では単純にfontes aquarum(湧き水)となっているが、ヘブライ人が考えていたのは「ワジ」と呼ばれる雨期にだけ現れる谷川のことであろうとされている。乾期に水のある場所を求めてさすらい、雨期を熱望する鹿の心というわけである。



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by CockRobin96 | 2014-11-09 12:11 | Trackback | Comments(0)